2012年1月17日火曜日

言苑(Garden of Words)





『言苑(Garden of Words)












一、教育






『教育』といふものは大切なもので、これによつて人間を賢くも愚かにも出來、屡(しばしば)権力者がこれを利用して、「愚民政策」として行使し、これは今でも利用する場合も考へられるので、注意が肝要だらう。
 こんにちの『教育』は、教へる事に力を入れてゐるから、今の若者の知識は、世界的に見ても誇るものがあるかと思はれるが、肝心の應用力(おうようりよく)に缺()けるやうに感じられる。
一を聞いて十を知る爲(ため)には知識では駄目で、それが『智識』とならなければならないだらう。
それを補ふ爲には、道徳的な部分を補強するのが最前の策ではないだらうか。
 『教育』は「教へる」だけでは充分でなく、「育てる」といふ部分も不足してはならない。
 『教育』は字義通に、教へ育(はぐく)んで欲しいものである。





二、後生畏るべし






 『後生畏(こうせいおそ)る可()し』

は、『論語』の中にある有名な言葉であるが、

「後生」

は後から生まれて來た者の事で、反對(はんたい)の言葉に、

「先生(先に生まれた)

があるので、

「後世」

と書いては間違ひである。
意味は、


「自分よりも若い者が伸びる勢ひはすごいもので、彼等がいつまでも今の我々に及ばないと思つたら、大間違ひだ」

といふ事で、先に生まれた者が發言(はつげん)した言葉である。
それが、

「今後、何處(どこ)まで伸びるか解ららない」

といふ意味に使はれるやうになつて、

「後世」

と書かれる誤用となつた。
それにしても、最近は「後生畏(こうせいおそ)る可()」き人物が少なくなつたやうに思はれるが、もしもその状態を望むならば、先づ『畏(おそ)る可(べ)』き「先生」が存在しなければならないと言へるだらう。








三、畫龍點





『畫龍點睛』

(がりようてんせい)と讀み、(がりゆうてんせい)は慣用讀みである。
 

これは中國の故事で、張といふ人が龍の畫()を描いたが、その「睛()」だけを描かずに放置してゐるので、人々が何故「睛」を描かないのか、と盛んに尋ねた所、「睛」を描くと天に昇つてしまふからだ、と張が答へると、そんな馬鹿な、と世情囂(せじやうかまびす)しくなつたので、ならばと言つて「睛」を描き込んだところ、忽(たちま)ち龍は天に昇つてしまつた、といふ話が元になつてゐる。


 『畫』は「画()」といふ字の正字で、
『龍』は「竜(たつ)」の正字で、
『點』は「点(てん)」といふ字の正字であり、
『睛』は「ひとみ・くろめ」といふ意味(角川新字源より)があつて、目偏である。

だが、この字は學校(がくかう)で習はないので、

『畫龍點晴』

と、日偏の「晴(はれ)」を書いてしまひがちである。
けれども、かう書いてしまつたのでは、それこそ『畫龍點睛』を缺()いた事になつてしまふ。
 注意を要する一例だと言へる。








四、左右の筆法



 「右」と「左」の書き順が、「右」の時には『ノ一口』で、「左」の時には『一ノ工』といふ違ひを、若い人は以外に知らないし、知つてゐても、どうしてさうなのかまではご存知ない。


 私もそれ程詳しくはないのだが、この間『新字源』を調べてゐたら、「右」は『口+Ψ(手の形)』、「左」は『Ψ(手の形)+工』といふ象形文字から成()つてゐるのを見て、繪()を描く時に、腕から描くか、それとも手から先に描くかを、畫家(ぐわか)の知人に尋ねた所、

「癖の問題もあるので一概には言へないが、どちらかといふと、繪を描き易くする目的から見れば、手から描くのが常識的だらう」

 との事であつた。


 そこで、何故「左右」の書き順の違ひになつて表れたかといふ話に戻れば、普通は『一』と『ノ』を使つた形で、どちらも同じものだと思ひがちだが、さうではなくて、「右」の『ノ』や「左」の『一』が手首を表現してゐて、それが書き順の差となつたのだと思はれる。
 因みに、「右」の『口』は身體(しんたい)の口で食べる動作、「左」の『工』は工作物で、右手を助ける爲に左手で押さへた状態だらう。
 かくして、「左右」の書き順の差が發生する事となつた。




五、完璧



最近は電腦(コンピユウタア)のお陰で、自ら筆を執る事が少なくなつたので、その事で漢字の智識が不足してゐる、といふ馬脚を現さなくても濟()んでゐて、これからの人は、益々この傾向が強くなるのではないかと危惧してゐる。


 けれども、高性能の自動車があつても、運轉者の技術が追ひつかなければ車をうまく操れないやうに、文字の正誤が理解出來なければ、電腦と雖(いへど)も、正確な文章は書けない。
 何をするにしても、智識がなければ利用出來ないのだ、と知つておくのも無駄ではない。


と偉さうな事を書いたが、實(じつ)は、私にも結構さういふ事があつて、例へば『完璧(かんぺき)』といふ文字などは、

『完壁(かんかべ)』
 
と書いて、大きな顔をして濟ませてゐた。


 『完璧』は、趙の國に「璧」といふ名玉があつたといふ中國の故事から出た熟語で、『壁(かべ)』と書いては間違ひである、とものの本で知つた。
 これと同じ文字を使用するもので、よく用ゐられるものでは、『雙璧(双璧・さうへき)』がある。
 
『壁(かべ)』は「土」で、
 『璧(へき)』は「玉」なので、

『完壁』

と書いたのでは、完璧ではなかつた事になる。





六、「れる」「られる」に就いて




 日本語の亂(みだ)れとしてよく言はれるのが、助動詞の「れる」と「られる」の活用法であり、この「れる・られる」は時枝文法によると、「受身・可能・自發・敬譲」とがあるのだが、今囘「敬譲」を除けば、現代假名遣での「れる」は「五段活用」に用ゐられ、「られる」はその他の活用などに用ゐられる。

 
 例へば、早速で恐縮だが、「用ゐる」といふ言葉は、否定形が「用ゐない」で上一段活用であるから、「用ゐれる」とはならず、「用ゐられる」が正しい活用となるのである。
 もう少し解り易くいふと、「ら段」の活用のものに注意を拂へば良いといふ事が諒解(りやうかい)出來、

 「著(き・着)る」と、「切る」の場合は、
 
「著()る」が「著()ない」といふ否定形の活用のある處(ところ)から、上一段活用であると解るので、「れる」は使用されずに、「られる」を生かした「著()られる」といふ表記となり、

 「切る」の場合は、否定形が「切らない」といふ五段活用だから、可能の助動詞の場合には「られる」はなく、「切れる」と「れる」を活用するのが正しい事になる。


 然し、それよりももつと簡単な方法があつて、それは促音便があるかないかで識別する手段で、

 「著(き・着)る」は促音便を使用して、「著()つた」とは言はないので、「れる」の活用はなく、「著()られる」と「られる」の活用が正しく、

 「切る」の場合は、「切つた」と促音便の活用があるので、「られる」は使用されずに、「切れる」と「れる」の活用が正しい事になる。


 應用として、「寝る」と「眠る」の場合も、

 「寝る」は「寝つた」と促音便を使用しないので、「れる」ではなく、「寝られる」と「られる」の使用が正しく、

 「眠る」の場合は、「眠つた」と促音便が活用出來るので、「られる」ではなく、「眠れる」と「れる」を使用するのが正しいといふ事になる。


 從つて「用ゐる」も、「用ゐつて」と促音便を使用しないので、「用ゐられる」となる譯(わけ)である。





七、「ヴ」に就いて




 「ヴ」の使用が國家に認められるやうになつて、二十年近くになる。
 尤も、國が言葉を禁じやうがどうしやうが、使ふ必要があれば遠慮なく使ふので、何の不便もない。


 けれども、困るのはそれを楯にして、

 「國が認めてゐない言葉を使用するのは、良くない」

 といふ發想を多くの人が持つ事で、恰も、その言葉を使用する人間が、犯罪者のやうな目で見られる事である。


 言葉は一面暴力的な部分もあるので、注意の上にも注意をしなければならない(自戒を込めて)が、「ヴ」を使つたり、歴史的假名遣を使用するのが、まるで「戰犯」か極惡非道の人間のやうに思はれるのには、堪へられない。


 いや、思はれるのは構はないが、さういふ風潮に、多くの人が引き込まれてゐる事に、氣がつきもしない事の方が、もつと恐ろしい。
 帝國主義やナチスは、かくして生まれたのだから……。
一寸、大袈裟か。




「言苑」8、「ー()」に就いて


 今度の「ー」は、一體(いつたい)何だと思はれるかも知れないが、これは長音記號で、特に外來語を片假名(かたかな)表記する時によく用(もち)ゐられる、例の「ー」で、これは具體的には、「スーパー」とか「マーラー」とかいふ表記に使はれるもので、一寸思ひつくままに書くだけでも、日常に氾濫(はんらん)してゐる。


 しかし、これは文字と文字の間にあるから、なんとか讀んでゐられるものの、ひとたび「ー」だけを取り出してみると、なんと讀むのか解らない。
 解らないのも當然(たうぜん)で、「ー」は文字といふよりも符號(ふがう)で、確かに普通の文字も符號には違ひないのだが、五十音の「一字一」といふ原則から見ても、より符號的であり、句讀點(くとうてん)と同じやうに意味のないものだからである。


 「點()」と「丸()」は、句讀點といふ意識を持つ事により、始めて文章の切れ目を表す符號となるが、單に「丸」と言へば、數學(すうがく)では「零(ぜろ)」か單位を意味し、繪畫(くわいぐわ)では圓(えん)の事を示してゐる。


 それと同じやうに、「ー」はこの前にある文字を伸ばすのだ、といふ意識を持つて、始めて納得出來るものであるが、日本語の文字の中に、意味はあつても音のない文字が、本當に必要なのだらうか。
 とここまで書いて、なにもそこまで頑(かたく)なになる事もないか、と反省してしまふ。


 凡(およ)そ、「ー」は外國の地名や人名に多く使はれ、日本語の場合には、


「行こー・しよー・見よー」

 のやうな表記をしても、見た目にも美しくないが、外國語の場合だと、

「モーツアルト(1756-1791)   
 
でさへ、有名な小林秀雄の名著といはれてゐる『モオツアルト』のやうに、「ー」を使用してゐない。


が、それでも、

 『タランテイイノ』

 のよりも、

『タランテイーノ』

のやうに「ー」を利用した方が、實用的で美しいといへるかも知れない。
 いづれにしても、どちらで表記しても許される範圍(はんゐ)で、強制する心算(つもり)は全くない。


しかし、嘗(かつ)て明治期に「棒引き假名遣」といふものが、先ほど述べた、

『行こー』

などといふ表記が政府によつて施行されたものの、當時(たうじ)の國語學者、文學者の森鷗外(1862-1922)や芥川龍之介(1892-1927)、与謝野晶子(1878-1942)などが反對して、廢止されるといふ事があつたが、「現代假名遣」の時には、川端康成(1899-1972)や志賀直哉(1883-1971)、野間宏(1915-1991)でさへも迎合し、まともに反對の聲(こゑ)を擧()げた文學者は、福田恒存(1912-1994)ぐらゐのものであつたと聞く。
 やんぬるかな!



九、小文字に就いて




現代假名遣では「拗音(えうおん)」や「促音(そくおん)」を、
「き()
「し()うがない」
「切()て」
「行()て」
といふやうに小文字で表記する。


これはどうしてさうなのかといふと、よく解らないやうに思はれる。
解らないといつても、大抵の人が間違はずに表記してゐる處(ところ)を見ると、利用方法は理解してゐるやうである。
しかし、車の運轉が出來るからといつて、車を造つたり、エンジンの構造に詳しいとは限らないから、ここでいふ解らないとは、なぜ「小文字」でなければならないか、といふ理由の事であるのは言ふまでもない。


考へるに、「話し言葉」で詰まつた音の表現の時の耳に聞える感じと、耳に小さく聞えた場合を表記したもので、音を寫(うつ)した爲に生じたものであるらしい。
といふ事は、これは音韻表記で、戰後の現代假名遣から使用され出したものである。
かういふ事をすると困つた事が起きる。


これは何度も言つてゐる事だが、
「柳生(やぎう)」といふ言葉は、
「青柳(あをやぎ)」といふ單語によつても解るやうに、
「柳(やなぎ)」が「柳(やぎ)」と讀む事が可能であると證明され、
「柳(やぎ)」と「生()む」の言葉の組合せで、
「柳生(やぎう)」と讀めると納得出來るのだが、耳で聞くと、
「ぎ」と「う」の間に、
「ゆ」といふ音が聞えたやうに錯覺するので、音に從つて表記すると、現代假名遣で使用されてゐるやうに、
「柳生(やぎゅう)」といふ事になつてしまふ。
さうして、お定まりの苦情(クレエム)として、
「柳(やぎ)」と「生()」の二つに分解した時、殘りの、
「ゅ」はどちらに組込まれるのか、といふ問題に直面する事となるのである。
これは合理的に解決しにくい難問である。


小文字は便利であるかも知れないが、それは現代人が使ひ慣れてゐるといふ事に過ぎず、表記としては特に小文字である、といふ事に意味があるものとは思はれない。


唯、注意をしたいのは、
「行つた」と歴史的假名遣で書かうが、話し言葉の時は、
「行った」と發音してゐるのだといふ事で、意識の中で二つの發音を區別してゐる結果が、表面に現れただけで、それは丁度、表音文字である五十音の基本は「一字一音」なのだが、中には「一字二音」の、
「は」と「へ」のやうに、
「は」には「は」と「わ」、
「へ」には「へ」と「え」、
といふ場合があつて、これらをなんの間違ひもなく、書き分けてゐる。


だから、これと同じやうに、
「行つた」と表記したからと言つて、
「行つた」と、「つ」を大文字で發音しなければならない、義理はないのである。




十、『言苑』「話し言葉」と「書き言葉」




どうも多くの人が、「話し言葉」と「書き言葉」が同じものだと思つてゐるやうに感じられる。
 もしそれが當つてゐるならば、斷じて違ふものであるといふ事を、膽(きも)に銘じておいて欲しいものである。
 

さうすれば「書き言葉」を、「話し言葉」に從つて表記するといふ發想は、これから言語を發生させなければならない言語の黎明期ならばいざ知らず、既に確立されたものに對して、働きかける譯はないであらう。
 縦しんば、さうしなければならない事が生ずるとしても、それは極()く限られた特殊な状況でしかなく、一般的には受入れられないものだ、と心得ておくが良いだらう。
 

何となれば、現代假名遣のやうに「話し言葉」に從つて書くといふ事は、音韻表記といふ事であるから、音を寫すといふ事でしかなく、意味を捉へるといふ行爲ではないからで、もしそれで何かが解るとしたら、それは既に言葉を知つてゐるものが讀むからであり、又、それは音韻表記が徹底してゐない證據でもある。
 

嘘だと思ふのならば、犬や猫の鳴き聲をその儘寫して見るがいい。
 
「ワンワン、ニヤアニヤア」
 
これでは犬や猫の鳴き聲である以外は、何も諒解出來ないだらう。
 音を寫すとはかういふ事で、「話し言葉」の儘では「書き言葉」とはならないのである。


 現代假名遣が一方では、

 「音に從つて表記する」

 と言ふながら、他方で歴史的假名遣を利用するといふのでは不備であるし、音を寫すといふ行爲そのものが、假名遣と無縁のものである事は、今更述べるまでもないだらう。


 老婆心から言はしてもらへば、假名遣とは、音を寫す時にどの音を寫せば良いかを判斷し、混亂を避ける爲に整理した表記法の事であるから、根本的に音を寫すといふものとは無關係で、語意識を明確にする爲のものである、と偉さうに書いて見た。
尤も、これは福田恒存氏の「わたしの國語教室」の受賣りに過ぎないのだが。




十一、ジパング 『言苑』




 日本の國の事を、海外では『JAPAN(ヂヤパン)』と呼んでゐるが、これは言ふまでもなく、中世に歐羅巴(エウロツパ)で『黄金の國ジパング』といはれた時期があつて、瑪爾哥波羅(マルコポオロ・1254-1324)の『東方見聞録』等によつても紹介されて、普及したやうである。


 しかし、日本がどうして『ジパング即ちヂヤパン』なのかといふ謎には、一向に納得の行く説がないやうである。
 そこで「かしこ」の常連客である白木某氏にご登場を願つて、ちよつと面白い説を披露していただかう。


 白木氏の説によると、日本といふから解らなくなるので、『本日(ほんじつ)』と漢字をひつくり返して、その讀み方を殘したまま、もう一度『日本(じつほん)』と元に戻せば、『日本(にほん)』は『日本(につぽん)』とも發音するので、答へは簡単に理解出來るといふのである。
 當然、『日本(じつぽん)』が『ヂヤパン』に變化するのに、それほどの時間を要しないだらう。


 因みに、『角川新字源』のよると、『日(じつ)』は漢音で、『本(ほん)』は漢音・呉音ともに同じ發音といふ事になる。
 この外に唐音や現代に近い華音といふものもあるので、詳しい事は今後の調査に委ねるが、強(あなが)ち白木氏の説が間違つてゐるとは言へず、寧ろ、説得力がある方だと言へるだらう。



十二、「かうして」と「さうして」に就いて




 大野晋氏が亡くなられてどれぐらゐ經つだらう。
 私は大野晋氏に、橋本進吉(1882-1945)氏と時枝誠記(1900-1967)氏の二人とで、三大國語博士と勝手に稱してゐます。


 その大野晋博士の業績に「こそあど」があります。
 言ふまでもなくこれは代名詞の、

 「これ」
 「それ」
 「あれ」
 「どれ」

 といふ事で、自分の手柄のやうに言ふのもなんですから、詳細は大野氏の本を讀んで下さい。


 扨(さて)、前振りはこれぐらゐにして、これから述べるのは、

 「かうして」
 「さうして」

 に就いてですが、「かうして」は、元は、

 「斯()くして」

 から變化し、「斯()くて」から「斯()う」となつて、

 「かうも」

 といふ表記になり、


「さうして」は
 
「然()うして」

 から變化し、「然()も」から「然()う」となつて、

 「さうも」

 といふ表記になります。


 「如何(どう)する」に就いては、

 「如何(どう)にか」から「如何(どう)にも」となつて、

 「どうも」

 と表記されるのではないでせうか。


 從つて、「だうも」とは表記しない事になるものと思はれます。
 鳥渡(ちよつと)氣になつたので、書いて見る氣になりました。
 知つたかぶりで、不愉快になられるかも知れませんが、さうだつたらお許しください。





十三、『送り假名(かな)』に就いて




 文章を書く時、今まではそれ程氣にもしてゐなかつたのですが、近頃『送り假名』に就いて氣になり出しました。
 今まではといふのも、中高生の時に初めて詩や小説を書き出した頃は、出來るだけ漢字を多く使用して、
例へば、

  「其日、私は知つて居る丈でも、彼の性格に就いて文章に書上げようと考へて居た。」

 なんて原稿用紙を漢字で真黒にして滿足してゐたし、手紙でさへ巻紙に候文で友人の大藏司氏に送り附けたりしたものです。

 「陳者」

 と書かれた漢字の讀みと意味が解らず、彼から電話があつて、

「なんの爲の手紙か、困つたもんだ」

と笑ひ合つたものでした。


「陳者」とは「のぶれば」と發音し、本文に入る前に書く言葉で、「申上げますが」とか「さて」と同じ意味を表します。
それらが一段落してからといふのが、今までといふ事になる譯ですが、漢字ばかりを使用してゐた反動か、急に平假名を多用するやうになつてしまつたのです。


 けれども、

「申し上げます」だとか、
「書き下ろし」だとか、
「受け付け」

などといふ『送り假名』に對して、なんだか送り過ぎてゐるやうな心持がして來て、『送り假名』を舊(きう)に復さうと考へ始めました。


とは言つても、

「申上げます」
「書下ろし」
「受附」

などはこれで構はないが、
「後」の場合の、

「後(あと)
「後(うし)ろ」

や「上」の場合の、

「上()がる」
「上(のぼ)る」

といふ『送り假名』を變へるのは、混亂を避ける爲にも賛成するべきだと考へます。


このやうな例は、まだまだあると思はれますが、基本としては『假名』の『送り』は、し過ぎないやうにしたいものだと思つてゐます。




十四、歴史的假名遣に於ける「やう」と「よう」の使分(つかひわ)




 歴史的仮名遣を使用するに當(あた)つて、「やう」と「よう」の使分けに就いて考へてた見たいと思ひます。
 そんな事は教へられるまでもないと思はれるかも知れませんし、第一、現代假名遣で表記するから、そんなものは無用だと言はれるかも知れませんが、まあ、さう言はずに一緒に考へて見ませう。


 歴史的假名遣は、先程の
「使用」といふ表現は「しよう」で構ひませんが、
「仕様」となると「しやう」と表記しなければならない使用勝手の惡さは、少し許(ばか)り厄介であります。
 「見よう」は「見やう」とはならず、
 「見るやうに」は「見るように」とは表記しません。


詰る所、
「よう」は推量の助動詞で、主に「上一段」「下一段」「カ行變格」「サ行變格」の動詞に使用されます。
 「やう」は斷定の助動詞で、名詞に使用されて、主に「の~に」といふ使ひ方をし、動詞の場合は連用形に附くと覺えておけばいいでせう。
 「でせう」や「だらう」の「う」も、推量の助動詞です。
 

ここに來てもよく解らないといふ聲が聞えて來さうですが、結局、一番解り易い方法は、
 
「だ」

 が附くか附かないかで判別するのが良いやうだ、ぢやなくて、です。
 即ち、

 「見よう」に「見ようだ」と「だ」は表記しないから「よう」で、
 「見るやう」は「見るやうだ」と「だ」を附けるから「やう」と書けば良いのです。
 「よう」や「う」、「やうだ」は助動詞なのに、ややこしい事です。

 でも、「やう」と「よう」の書分けがある事を知つただけでも、良しとする事にしませう。





十六、「じ・ぢ」と「ず・づ」に就いて




日本語の表音文字である五十音は、平假名と片假名があつて、一字一音が基本である。
 それでも、

 「は」には、「は・わ」
「へ」には、「え・へ」

 の一字二音といふ例外がある。


 これ以外にも、

 「が」

 といふ軟口蓋音(なんこうがいおん)があつて、

「學藝(がくげい)

といふやうに、これは主(おも)に語頭に用ゐられるのだが、語中語尾では軟口蓋鼻音(なんこうがいびおん)の「が」もあり、これは、

 「か°」

と表記し、通常「鼻濁音(びだくおん)」と言はれてゐて、

「僕が」の「が」

の時に用ゐられ、これは演劇や朗讀をしてゐる人には、今更、教へられる事もないほど常識的な話で、身につけてゐなければならないものであつた。


 一字一音ではあるが、これとは逆に本來は違つた音なのに、續けて發聲(はつせい)すると言ひ難(にく)い音が變化(へんくわ)を來(きた)して、一つの音に収斂(しうれん)して行くといふ傾向があつて、

「い」には「い・ゐ」
「え」には「え・ゑ」
「お」には「お・を」

 といふやうなものがあり、これらは實は、

 「ア行」の「あいうえお」
 「ワ行」の「わゐうゑを」

 の外に、

 「ヤ行」の「やいゆえよ」

 もあつて、一般には、

「ヤ行」の「い・え」
「ワ行」の「う」

は數に入れない許りか、現代假名遣では、

 「ワ行」の「ゐ・ゑ」

 も使用しないので、「五十音」と言つても實際には「四十五音」しかない事になつてしまふ。
 尤も、「五十音」だつて「ん」があるので、正確には「五十一音」の筈なのである。


 そこで、

 「ヤ行」の「い・え」
 「ワ行」の「ゐ・う・ゑ」

 が果して、

 「ア行」の「い・う・え」

 の音とどう違ふのかといふと、

「あいうえお」が「 A・ I・ U・ E・ O」
「やいゆえよ」が「YA・YI・YU・YE・YO」
「わゐうゑを」が「WA・WI・WU・WE・WO」

このやうに羅馬(ロオマ)字にすると、その差が良く解るやうに思はれる。


 ここからが本題の、

「じ(zi)」と「ぢ(di)」、
「ず(zu)」と「づ(du)

 に就いてなのだが、この使ひ分けは難しく、その根據(こんきよ)は初めにさう發音したからだといふ外はないのである。
 ところが、歴史的假名遣から現代假名遣に替はつてから、その規則性に亂(みだ)れが生じたのである。
 

それを現代假名遣を基準に羅列すると、

地面(じめん)と表記するが、歴史的假名遣では「ぢめん」と書く。何故なら「地」は大地(だいち)といふやうに「タorダ行」だから。

政治(せいじ)と表記するが、歴史的假名遣では「せいぢ」と書く。何故なら「治」は治安(ちあん)といふやうに「タorダ行」だから。

 絆(きずな)と表記するが、歴史的假名遣では「きづな」と書く。何故なら「絆」は「生綱」とも表記し、生綱(きづな)といふやうに「タ・ダ行」だから。

地圖(ちず)と表記するが、歴史的假名遣では「ちづ」と書く。何故なら「圖」は圖書(としよ)といふやうに「タ・ダ行」だから。

「じゃあ」と表記するが歴史的假名遣では「ぢゃあ」と書く。何故なら「では」の轉(てん)じたもので「ダ行」だから。


 大體が、言語は「話言葉」が最初に考へ出され、人間が發聲(はつせい)出來る所有(あらゆる)音を整理し、認識出來る最大の『下界のものと対照』ものを提出して整理したものと思はれる。
 犬のやうに「ワン」と「クウ~ン」の組合せだけでは、「ワン」を一囘で「空」、二囘で「海」といふやうに、これをこの儘(まま)續けて行つて、この世界の物質を發し分けられはしないのである。
 

 その爲には、先ほども述べた人間の口から發する事の出來る音を、分類して整理する必要があり、「書言葉」として定着させなければならないのだが、「話言葉」はいつでも「書言葉」を裏切るといふか、置去りににしてゐると言はなければならないだらう。


このやうな表記の問題は、何も日本語だけに生じたものではなく、英語にもあつて、

「C」と「K」、
「C」と「S」、
「L」と[]

この使ひ分けは、似たやうな音を二つの文字で書分けなければならず、それは日本語の、

「じ(zi)」と「ぢ(di)」、
「ず(zu)」と「づ(du)

と、極めて類似した状況が展開されてゐて、言語に關する興味深い問題を垣間見たやうな氣がするのである。




十六、再び「JAPAN(日本)」に就いて


 

二〇一〇年一月十二日の「産経新聞」に、我が國の名稱が三種類もあるといふ記事が掲載されてゐた。
 曰(いは)く、

「JAPAN」
「にほん」
「につぽん」

これらの呼び方があるといふのである。
この内の、

「につぽん」

が、制定されてゐる譯ではないが、國號のやうな正式の扱ひを受けてゐるやうである。


抑々(そもそも)

『正稱(せいしよう)、日本國は古くは「やまと」と總稱(そうしよう)されてゐて、中國や朝鮮では「倭」と表記されてゐたが、我が國では「倭」から「大和」を用ゐるやうに定められ、その後に聖徳太子が隨に送つた國書に「日出處天子」と記されたのを契機として、「日本」を正式な國號とし、「やまと」とか「ひのもと」と呼び習はしてゐた(大辞林より)


 國の呼び方については、

「英吉利(イギリス)

 と我々が呼んでゐる國は、實(じつ)は何處(どこ)にもなく、また一時期、石原慎太郎氏が、

 「支那(シナ)

 と呼んでゐた國は、呼ばれてゐる當(たう)の國から使用中止の註文(クレエム)が來た。
 その後、石原氏がどう對(たいしよ)したかは寡聞(かぶん)にして知らないが、日常會話の中で他國の事を通稱で呼び合ふのならば兔も角、正式な場での國の呼名を自國が決定出來ないといふのも不思議な事であると言はなければならないだらう。


 といふのも、國際的な場で、國の名稱が幾つもあるのは可笑(をか)しな事だが、いや、幾つもある譯ではなく、我が國は、

「JAPAN」

 と呼ばれてゐて、それが當然の事のやうになつてゐるらしい。
 日本人は謙虚で、恥かしがり屋で、見栄つ張りで、相手の事を考へ過ぎて外國に迎合してしまひ、日本の國内でも外國人に氣を使つて、看板などに外國語で表記してゐる。
 これは大變(たいへん)良い事だが、出來るならば樣々な國の言葉で表記し、民族的な差別がないやうな配慮がある事を願ふばかりである。


このやうな親切心は度を過ぎてゐて、事の序(ついで)に自分の名前でさへ外國に合せてしまひ、外国の人との挨拶の時、

「NINNTARIU(忍太郎) KOZIYOU(孤城)

と、姓名を逆にして握手したりしてゐる。


 ここには先程も述べたやうに、

 「相手を氣使ふ親切心」
 「恰好良いといふ軽薄な思考」

 とがあつて、更にもう一つは厄介な、

「白人に對する劣等感」

があつたりして、名譽白人にでもなつた心算(つもり)なのだらうか、進んで姓名を逆にして喜んでゐる。


これは困つた事で、他の亞細亞(アジア)民族には上からものをいふやうな態度で接する癖に、西歐人に對する時は途端に卑屈になつてしまふ。
文明開化の頃に海外へ渡航した日本人に比べ、今の日本人には自信がないからで、それがないばかりに、優位に立たうとして卑屈になつたり、横柄になつたりするのである。
これを解消するには、行儀作法を身に附けるしかない。
(しつけ)があれば、それを據所(よりどころ)として堂々とした態度で場に臨め、身分の上下を氣にせずに振舞へるのである。
躾とは、「美」しく「身」を處する事で、これは國字である。


 日本には昔から、

 「郷に入つては郷に從へ」

 といふ諺(ことわざ)があり、これは人と人との摩擦を避ける爲に編出(あみだ)した處世術(しよせいじゆつ)だと言へるだらう。
 かういふ考へを持つた日本人が、海外へ行つてもそれに從つてたりしてる譯だが、それならば外國の人が來日した時、彼らは日本人の爲に、

 「ロオパア・シンデイ」

 とは言つてくれないのである。


 さういふ意味から愚考するに、筆者は海外の人に對して人名を名乘る場合は、

 「孤城忍太郎」

 と姓名で傳へたいと思ひ、けれども國號に關しては説明したりする以外は、

 「JAPAN」

 とは言はず、

 「につぽん」
 「にほん」

 と併用して行きたいと思ふ。
 といふのも、日本語は短音の場合は、

「本」は「ほん」

と讀むだけで濟むが、他の言葉と組合せた時にはさうは行かなくて、それは例へば、

「一本(いつぽん)
「二本(にほん)
「三本(さんぼん)

以下は略すが、このやうに連語になつた時に、獨特の音韻變化(おんゐんへんくわ)をするので、「日本」に關しても、
 
 「大日本帝國(だいにつぽんていこく)
 「大日本印刷(だいにほんいんさつ)

 といふ風になるぐらゐだから、

 「につぽん」

 と固定してしまふのは、日本語の特性には馴染まないやうに思はれるが、それでも、

「國號としてはどちらかに決めるべきだ」

といふならば、筆者はさうしても大きな問題はないと思つてゐる。
要は、國名の發信者がその國の人である、といふ原則が守られてゐるならば、それで良いのである。




十七、言語から見た『臨死』に於ける小考




一時期、神秘現象(オカルト)(スピリチユアル)が持て囃(はや)されて、その中に、

「臨死(りんし)體驗(たいけん)

といふものが大衆傳達(マスコミ)を通じて、世間を騒がせてゐた事があつた。


 『臨死』とは、辭書によれば、
 
「死に直面し、死というものを感知すること(大辞林)

とあるが、

「死後の世界へ行つて來た」

といふ體驗者たちの經驗(けいけん)談が、頻繁に雜誌に掲載されて、

 「そこはお花畑があつて、とても綺麗だつた」

 などの説明(コメント)が投稿されてゐ、

「あのままゐたら死んでゐたに違ひなく、貴重な死の世界を垣間見る事が出來た」

 といふのである。


 しかし、である。
 
 『臨死體驗』

 とは、本當に死の世界の中に蹈み込んだ事を意味するのだらうか。
 

これを言語の立場から考察すれば、

 『臨死』

 の、

 『臨(りん)

 とは、

 「のぞむ。高い所から下を見る。面と向かう(漢字源)

 といふ意味があり、とてもではないが、

「死んだ後に生き還つた」

といふやうなものではない。


 どうしてかといふと、

 『臨海』

 といふ言葉があり、

 『臨海道路』

 といふものもあるが、これは、

 「海にのぞむこと。海近くにある(大辞林)

 といふ意味で、海の中の事ではないし、海の中を道路が開通してゐる譯のものでもない。
海の傍(かたは)らの丘の上にゐたり、海に隣接して開通してゐる道路の事なのである。


 だから、

『臨死體驗』

で死を經驗したといふ言動は、言語の上から見ても正しい表現であるとは言へず、意識が前後不覺になつただけの事で、生きた状態で腦が見た夢だとでもいふ外はないのである。
かういふものは、問題があるとすぐに大衆傳達(マスコミ)から消えるが、時期をおいて必ず復活して人々を惑はせるものである。
自分の心を守るのは、自分しかゐない。
解析する能力を身につけなければならない、所以(ゆゑん)である。





十八、言葉を發する




幾度も言つてゐる事だが、言葉には、

「話し言葉」

「書き言葉」

とがある。
 さうして日本語は、そのどちらもが他の國の言葉に比べて亂(みだ)れてゐる、と言はれてから久しい。


 その亂れがどう違ふのかといふと、日本語は「話し言葉」と「書き言葉」を近づけようとして、「話し言葉」には一切手をつけず、「書き言葉」だけを變化させたのに比べ、西洋諸國の多くは、「話し言葉」をしつかり教育し、「書き言葉」で發音しない文字があつても、所謂(いはゆる)綴字(スペル)を傳統(でんとう)に從つて、保持しようと努めてゐる事ではなからうか。


 この違ひを色々と調べてみて面白い事が解つた。
 それは日本語の教育に、讀書(よみか)きといふ授業で、小學生に國語の教科書を讀ませ、漢字以外に

「五十音圖(ごじふおんづ)

をそれぞれ、

「平假名・片假名・羅馬字」

といふ順に書いて覺えさせる。


 「書き言葉」は、そのあとに中學校の義務教育を終へても、高校や大學、實社會(じつしやくわい)と、書物を讀む事で見につける事が出來る。
 しかし、「話し言葉」は、「五十音圖」を覺えたあとは、教科書を讀む以外には教へようとはしてゐない。
 これが日本語の教育にどんな影響を與(あた)へるか、歐羅巴(ヨウロツパ)の言語教育と比較するとよく解るやうに思はれる。


 例へば、NHKの教育番組で、獨逸(ドイツ)語や仏蘭西(フランス)語、伊太利(イタリア)語や英語でさへもが、發音(はつおん)に對(たい)して嚴(きび)しく指導してゐる。
 それは例へば、
 
「B」

 に對する發音と、

 「V」

 に對する發音では、唇から發する時に異なつて發せられる。
 それは日本語で書く時、その音の違ひを、

 『「B」は()

『「V」は()

 と明治期の人は表記して書分けてゐた。


 飜(ひるがへ)つて日本語ではどうか。

 「あ行」の、「お」と、

 「わ行」の「を」

 の發音を異なつた音で話してゐるだらうか。
 ここに違ひがあつたなんて、考へもしなかつたやうに喋つてゐるが、その違ひは、

 『「お」が()

 『「を」が(Wo)

 と羅馬字で表記する事で、音の違ひがあつた事が諒解されるだらう。


 一體、それを誰が教へるのだらう。
 筆者は學校教育で教はつた記憶がない。
 もしかしたら、忘れてしまつたのかも知れないが、教へてゐたとしてもその程度の記憶ならば、教育したゐたとは言へないだらう。
これは教育しなくても構はないのだらうか。
 家庭で教へようにも、基礎を學校で習つた親がゐないのだから、そんな事は無理で、だからと言つて任意に教へたのでは、それこそ日本語が亂れる元となつてしまふ。


 抑々(そもそも)、「正書法」としては、「話し言葉」と「書き言葉」のずれがあるものの、明治政府によつて、

『歴史的假名遣(れきしてきかなづかひ)

が契沖(けいちゆう・1640-1701)の研究された假名遣を元に制定され、戰後になつて、その言葉のずれを少なくしようと考案された、

『現代假名遣』

によつて、一應(いちおう)、こんにちでは「正書法」となつてゐる。


何處の國でもさうなのかも知れないが、昔の日本語は「書き言葉」と「話し言葉」が同じだつたものが、發展するに從つて、音のずれを解消する爲に、「話し言葉」と「書き言葉」を分けるやうになつた。
解り易いところでは、「候文」がさうである。
昔と雖(いへど)も、侍が文(ふみ)を認(したた)める爲に「候文」を使用する事はあつても、「候文」で喋(しやべ)る氣づかひはなかつた。


それが明治期になつて、日常に用ゐられる「話し言葉」によつて文章を書くといふ文體改革運動が、二葉亭四迷(1864-1909)や尾崎紅葉(1867-1903)・山田美妙(1868-1910)などの小説家達によつて實踐(じつせん)された。
これを「言文一致」運動といふが、この事によつて、「書き言葉」と「話言葉」の差を一部の人が氣にし出して、「書き言葉」を「話し言葉」に近づけようとする運動が起こつた。
その詳細は既に色々な所で述べたので、ここでは觸()れないが、

「正書法」

といふ考へがあるのならば、

「正話法(筆者の造語)

といふ考へで生徒を指導しても構はない筈である。


以上述べたやうに、正しく話すといふ事を學校教育で教へようとしない國は、實は一寸、信じられない事で、

「正話法」

といふものを制定して、基本を身につけさせるべきだらう。
「話し言葉」がどんどん亂れて、「書き言葉」を變へなければならないなんて、よく考へれば理不盡(りふじん)極まりない事で、「正話法」がないのだから當然と言へば當然の話であつたのである。




十九、言語問題の誤用を放置すると



 
戰後に『歴史的假名遣(れきしてきかなづかひ)』から『現代假名遣』になつて、國語の亂(みだ)れがひどくなつたと筆者は思つてゐる。
そのひとつが、以前にも述べた『れる』と『られる』の問題で、國民の五十%近くが間違つても氣にならないやうになつたと言はれてゐる。
それはこれを正しく教へる人がゐないので、使ひこなせない人が多くなつてしまつた事が原因となつてゐるやうに思はれる。


このまま放置しても構はないのかといふと、勿論のこと良くはないのだが、改めるには教育の現場から手をつけなければならないので簡單にはいかない。
それは例へば、

『有難く』

が音便化して、

『有難う』

となつた時、

歴史的假名遣では「ありがたく」から「ありがたう」と表記した。


けれども、現代假名遣では「ありがたく」から「ありがとう」と表記する事を許してしまつた。
その理由は、「有難う」と發音して喋つてゐるからだといふ現實が根據(こんきよ)だといふのであるが、

『ありがた』

までが語幹で、語幹とは活用語尾を取除いた變化しない部分の事であるが、現代假名遣では變化する語幹もあると例外を作つて生徒に教へなければならなくなつて混亂(こんらん)が生じてしまつた。
このやうに音に隨(したが)つて表記法を決定して行くと、いつまで經()つても定まらない事になつて、文法にまで改惡を餘儀なくされてしまふ。


言葉といふものは放つておけば亂(みだ)れるもので、『萬葉特殊假名遣(まんえふとくしゆかなづかひ)』が制定されて、その仮名遣が忘れ去られて亂れたのを藤原定家(1162-1241)が文獻から『定家假名遣』を定め、江戸前期の國學者の契沖(1640-1701)が『萬葉特殊假名遣』を精査して『定家假名遣』の不備を正し、『歴史的假名遣』の基礎を作り、それが明治になつて學校教育で施行されたのであるが、それほど苦勞して學問的に完成されたものを手にしたにも拘はらず、それが大勢の人に使用されれば亂れを認めても構はないといふのならば、國語教育といふものは不要になつてしまふ。


「私は」と書いて「わたしわ」と讀む事を許すのなら、

『ありがたう』

と書いて「ありがとう」と讀む事を教へれば濟む話である。
『氣配』を今では「けはい」と讀んでゐるが、語中にある「は」は「わ」と發音するのが基本で、嘗ては、

『けわい』

と讀んでゐたとものの本にあつた。


しかしながら、「擅」の文字が常用漢字外で表記出來ない爲に、よく似た「壇」の文字を使用したので、

『獨壇場』

と書いて「どくだんぢやう」と讀み、正式な、

『獨擅場』

と書いて「どくせんぢやう」と讀む能力を失つてしまつたといふ惡例があるものの、

『順風満帆』

を「じゆんぷうまんぽ」と誤用されてゐたのだが、今では「じゆんぷうまんぱん」と讀むやうに訂正されてゐるので、それほど深刻にならなくても濟むやうな氣がしないでもない。
安氣に過ぎるだらうか。


しかし、なんでも禁止すれば良いといふものではなくて、最近になつて使用頻度が多くなつたと言はれてゐる、言葉の語尾に小文字の「っ」をつける、例へば、

「熱っ」

だとか、

「きもっ」

などといふ表現は、小説や戯曲などに使用されたとしても時代背景が考慮されてゐたならば、筆者はそれほど氣にはならない。
但し、歴史的假名遣を使ふ筆者の表記としては、

熱ツ

といふ風に片仮名の「ツ」で表記する事によつて、熟(こな)れてゐない言葉である事を示しておきたいと考へてゐる次第である。


2011年9月24日午前4時





二十、『蠱惑』考








二十二囘の摂取本(セツシボン)で谷崎潤一郎(1886-1965)の『陰翳禮讃』に就いて書いたが、まだ讀了してゐなかつたので今囘もそれを讀んでゐる途中で氣になつた事を書く事にする。
それは『蠱惑(こわく)』といふ言葉に就いてであるが、その前に一齣(ひとくさり)愚痴を述べれば、相も變らず、

「舊幕時代」

といふ表記があり、現代では「旧」と書くべき所を「舊(きう)」といふ正字を使ひ、

「夜会服を著()け」

を「着け」である筈なのに正字の「著()け」をそのままにしてゐる。


さうかと思ふと、外國の「アメリカ」と表記してあつたものが、「亞米利加」となつてゐたりする不徹底ぶりであつたり、

「云っていゝ」

と語尾に「いゝ」のやうな「一の字點」の『踊り字』を使用してゐる。
ただ、このふたつに關(くわん)しては、例へば「アメリカ・亞米利加」といふ表記を場合によつて使ひ分ける文章作法としての技巧(テクニツク)は有り得る事で、もうひとつの「いゝ」に就いても、原稿用紙に書かれた段階からあつた可能性があり、謂()はば谷崎氏の癖のやうな氣もしてゐて、さうであるならば、筆者は、

「あゝ」

などの感嘆詞以外で「一の字點」の『踊り字』を使用するのは、極力避けるやうにしてゐる。
これは古い書物の中でも氣に入らない表記の内の一つである。
その意味では現代假名遣ばかりではなく、歴史的假名遣と雖(いへど)も直さなければならないものはあるんだと思つてゐる。


さて『蠱惑』に就いてだが、これも『陰翳禮讃』の中で使はれてゐて如何にも谷崎好みの言葉であると思つた。
『蠱惑』とは、

「騙し欺くこと」

と辭書(じしよ)にあるが、これでは谷崎ならずともこの言葉を選んだりはしないだらうが、

「女が色香で男を惑わすこと」

といふ意味が加はれば、忽ち魅惑的で官能的な單語となつて文脈の中で妖しい光を放ち出さないだらうか。


そこで、

『蠱』

といふ漢字だがこれは辭書(じしよ)によれば、

「穀物につく蟲。また人の體内(たいない)にゐる蟲」

の事であり、

「皿の中に蟲を入れて共喰ひをさせ、生殘つた蟲の毒氣で仇を呪ふまじないに用ゐる蟲の事」

であり、また、

「迷わし亂(みだ)す」

といふ意味もあるが、更に、

「周易の六十四卦の一つで、破壊の後に復興の兆しが現れる樣を示す」

とある。
安倍清明(921-1005)あたりが蠱毒(こどく)としてあやつりさうな、おどろおどろしい雰圍氣がただよつてゐる。


この『蠱』だが、「蟲」と「皿」からなる六書(りくしょ)の中の會意(くわいい)文字である。
現在では『蟲』といふ漢字は使用されず、總て「虫」で統一されてしまつた。
ところが、「虫」は「蟲」の略字ではなく、この二つは全然別の文字なのである。その證據(しようこ)に、

「蛇」

といふ漢字は「虫」と「()」から成つてゐるが、この「虫」は昆虫の事ではなく「虫」のままで「まむし」の意味がある。
さうして昆虫の場合にこそ『蟲』といふ漢字を當てられたのである。


勿論、偏(へん)の「虫」には「まむし」の意味だけではなく、

「蝶・蜂・蝉」

などのやうな昆虫の場合もあり、

「蝦(えび)

などの甲殻類、

「蛤」

の軟体動物、

「蛙」

の兩生類の場合がある。


けれども、本來動物の總稱を蟲と言ひ、

「羽蟲を鳥」

「毛蟲は獣」

「甲蟲は龜」

「鱗蟲は魚類」

「裸蟲が人類」

の事で、また足のある動物を蟲といふが、足のないものを豸()といふと辭書にある。


今は使はれなくなつてしまつた『蟲』だが、集まつて蠢く樣は『虫』よりも『蟲』の方が實感が湧かないだらうか。
漢字には限らないが、使ひ分けるものが増えれば増えるほど選擇肢の幅が多くなるのであつて、例へば鍋のやうな器がひとつしかなければ、ご飯を炊いたり味噌汁や煮炊き物、果ては顏を洗ふのまでそれ一つで濟ませなければならない。
文化や文明が発達するといふ事は、ご飯の茶碗、湯呑の茶碗、味噌汁のお椀、水を飲むコツプ、嗽(うがひ)をするコツプ、珈琲を飲むカツプ、紅茶を飲むカツプ、麥酒(ビイル)を飲むグラス、ワインを飲むグラス、酒を飲むお猪口のやうに似たやうなものが用途に應じて使ふ事が出來るといふ事であらうかと思はれるのだが、それと同じやうに、そんな漢字といふ知的財産をわざわざ抛棄するなんて勿體無いとは考へないのかと筆者には信じられない思ひなのである。


二〇一二年六月一日午前四時二十分





二十一、『懶()(らんだ)の説』を讀んで




谷崎潤一郎(1886-1965)の『陰翳禮讃』といふ本の中で『懶()惰の説』といふ隨筆がある。
この冒頭に谷崎は「懶()惰の「」を「立心偏に頼」と表記し、

『懶(この字ではない)惰の「立心偏に頼」の字の代りに「懶」の字を使って、「懶惰」と書くのをしばしば見受けるが、あれは間違いで、やはり「立心偏に頼と惰」が正しいようである。今、簡野道明氏の「字源」に拠って調べると、「」は「憎懶(ぞう(ルビなし)・らい)」などと用い、「にくむ」或は「きらう」の意である。「立心偏に頼 」の方は、「ものうし」「なまける」「おこたる」「つかれふす」の意で(以下略)(現代假名遣のまま)

といふやうな事を書いてゐる。


題名(タイトル)に「懶惰」の「懶」に「()」をつけたのはさういふ意味があつたからであるが、それは筆者が調べた限りでは間違ひで、「立心偏に頼」は「懶」の俗字で同じ意味なのである。
簡野道明氏の「字源」を調べてはゐないが、五十年以上も愛用してゐる、

『角川新字源 小川環樹・西田太一郎・赤塚忠 角川書店』

とそれに近いぐらゐの、

『新漢和辞典 諸橋轍次・渡辺末吾・鎌田正・米山寅太郎著 大修館書店』

のふたつを調べたのだから手續きは蹈んでゐると思ふ。


電腦(コンピユウタア)には、「立心偏に頼」の文字は環境依存文字としても登録されてゐないやうである。
それにしても、谷崎潤一郎ともあらう者が一體(いつたい)なにゆゑこのやうな迂闊な事を書いたものか。
 文豪の一文にクレエムをつけた人があるとさへこれまで聞いたことがない。
 谷崎の名に安心したのか。
 それとも谷崎氏も研究者も、「懶惰」の所爲(せゐ)だとでもいふのだらうか。


二〇一二年六月二十日午後十一時半 店にて



























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