2018年5月16日水曜日

蝙 蝠(かうもり・The Bat)  随筆(essay)




作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)
Motion(JAZZ風に) 高秋美樹彦』
 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は和歌山懸にある、
『熊野』
へ出かけた時のものです。
 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。
ない方が良いといふ讀者は、ご自由にどうぞ。





 蝙蝠(かうもり)といふ動物がゐる。
 哺乳類の中で、この動物ほど嫌はれてゐる動物も珍(めづら)しい。


 狐などは、西洋でも日本でもまだ愛嬌があるし、惡役をしても、何處(どこ)か間の拔けた所があるか、でなければ徹底的に冷酷(クウル)である。


 しかし、蝙蝠となると、その姿かたちの感じの陰險な所爲(せゐ)もあるかも知れないが、非常に嫌はれてゐる。
 筆者自身は、その事に同情的である。
 けれども、それは何も筆者が蝙蝠を好きだから、といふ譯では毛頭ない。


 では、何が筆者に蝙蝠を同情させたのかといふと、世界の寓話集の中に、蝙蝠がどうして夜中に飛廻(とびまは)るやうになつたのかといふ話があつて、それが筆者の氣を惹()いたからである。


 それは、中國の昔話に、

 「昔、太陽が二つあつて、人々の休まる時がないので、勇気のある若者が二つの太陽の内の一つを弓で殺してしまひ、夜といふ安らぎの世界が訪れたといふのである。さうして、今でもその死んだ太陽は、月となつて地球の周りを廻つてゐる」

 といふやうな、現在の状況から過去に向つて空想を廣げるといふ按配(あんばい)で、聊(いささ)か故事(こじ)つけに近いが、

 「成程」

 と、思はない事もないといふぐらゐの話である。


 蝙蝠の話の方も、ある時、動物界に鳥類と獣たちの戰爭が起こつて、鳥が蝙蝠を捕まへて殺さうとすると、

 「私は獣のやうに見えますが、このやうに空を飛べるのですから、あなた方と同族ですよ」

 と蝙蝠は言ひ、また、獣たちに見つかると、

 「私は空を飛びこそすれ、このやうに鼠(ネズミ)の同族で、勿論、獣ですよ」

 と言つて、どちらにもつかづに、兩方から逃れて戰爭には參加しなかつた。


 筆者の思ひ違ひかも知れないが、密告のあつた時に蝙蝠を打ちつけるのは、そんな理由からであらうか。


 所が、長い年月が經()つ内に、お互ひの中から平和を唱へ出すものが現れ、鳥と獣の間に平和不可侵條約が結ばれる事となつた。
 さうして、平和の日々が續くうちに、お互ひの武勇傳に花を咲かせ、鳥は獣を誉め、獣は鳥の勇氣を誉めるといふ、謂()はば外交辭令を交はしてゐた。
その時、運惡く蝙蝠の事が話題に上つた。
 忽ち、蝙蝠のした事がばれてしまつた。


 平和になつた鳥と獣の世界では、今では「徳」といふものを重んじ、正義を振り翳(かざ)してゐた。

 「鳥獣の恥だ!」

 といふものが現れた。

 「鳥獣の世界から追放しよう!」

 といふものまで現れた。
 狐などは、

 「蝙蝠の存在は惡だ」

 とさへ言ひ出す始末だつた。


 かうして、蝙蝠は鳥獣の活動する晝(ひる)は洞窟で身を隱(かく)し、鳥獣の眠つてゐる夜中にしか活動できなくなつた、といふのである。
 これは寓話であるから、少しも面白くない。


 希臘(ギリシア)神話などは、こんなのとは違つてひどく詩的である。
 例へば、

 「アラクネといふ機織(はたお)りのうまい娘がゐたが、彼女は次第に慢心して、神にも負けないとさへ言ひ觸()らした。
 そこで神と腕比べをする事になつた。
 しかし、女神アテネの織つた布と、アラクネの織つた布とは、お互ひ見分けがつかない程、二つの布は素晴しい出來映えだつた。
 だが、女神アテネはアラクネを祝福せずに、女の嫉妬心から彼女の織つた布を、ずたずたにしてしまつた。
 アラクネはその爲に首を括(くく)つて死んだ。
 その時、始めて女神アテネの怒りが解け、彼女を一匹の蜘蛛にした。
 さうして、巧みに織る技だけは彼女に殘されたのだ」

 といふのである。


 こんな具合に、先に述べた寓話とは比較にならないぐらゐ詩的であるが、勿論、これだとて神のひどい仕打ちには、納得の行く譯のものではない。
 筆者は、どちらかと言へば後の方の話を愛するが、それだけを言つたのでは話にならない。
 一體(いつたい)、隨筆といふものは讀んで字の如く、筆に隨(したが)つて書くものなのだらうが、もし本當(ほんたう)にその通りにするのならば、この話もここまでである。
 しかし、筆者はさういふ事を好まない。
 そこで、例の蝙蝠の話になるが、その中でひどく腹の立つ事があるので述べて見たい。


 それは、なぜ蝙蝠だけをこのやうに惡くいふのか、といふ事である。
 蝙蝠は戰爭に卷込まれたくなくて、どちらにも味方と思はせただけである。
 あるいは、殺されたくなくて嘘を吐いたのだとしても、これは何も蝙蝠だけに限つた事ではなく、それを卑怯といふには及ばないだらう。
蝙蝠は平和主義者なのである。
 それをお互ひの都合で平和になつたからと言つて、蝙蝠だけを責めるのはどういふものであらうか。


 元來、勝手に始めた鳥と獣の戰爭であらう。
 それも、恐らく下らない理由から始まつたに違ひないのである。
 そんなものに卷込まれるのは、誰だつて御免である。
 さうして、今度は平和になると、自分達の非を認めず、蝙蝠だけを惡いと言ふ。
 戰爭の爲に、どれだけ蝙蝠が迷惑したかも考へずに……。


 蝙蝠こそ、良い迷惑である。
 鳥と獣が勝手に始め、また、平和にしたからと云つて、自らの行爲(かうゐ)に目を瞑(つぶ)り、蝙蝠だけを責めてゐるのでは、多數決の缺點(けつてん)を曝(さら)け出したも良い所である。
 惡いのは、戰爭をしてゐたもの達である。


 それを、今度は平和になつたからと言つて、その時に戰爭を逃げ出した蝙蝠が惡い、といふのはお門違ひである。
 もう一度言へば、平和を亂(みだ)したのは、鳥と獣たちなのである。
 かりに蝙蝠があの時に、鳥か獣に捕まつて殺されてしまひ、平和になつてから名誉の稱號(しやうがう)を與(あた)へられたからと云つて、一體、何になるといふのか。
 これ程、後味の惡い話もないものである。


 蝙蝠が夜になつて飛廻るのは、なにも鳥や獣達に追ひ出されたのではあるまい。
 蝙蝠が夜中に超然と飛廻るのは、恐らく鳥獣不信になつて、昔の人間でいふ所の、山に籠つたのであらう。
 世捨人になつたか、それとも、宛然(ゑんぜん)佛陀(ぶつだ)の悟りを開いたのかも知れない。


 しかし、今では蝙蝠は夜にまで姿を見せなくなつた。
 蝙蝠は、今度は人類を見放したのだらうか……。


一九七三年昭和四十八癸丑(みづのとうし)年極月十日午前三時

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麒麟(きりん・giraffe?)  随筆 (essay)




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『熊野』
へ出かけた時のものです。
 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。
ない方が良いといふ讀者は、ご自由にどうぞ。





     麒麟(きりん・giraffe)


 少年の夢といふものは、何とも可笑(をか)しなものである。
 何がどう可笑しいかといふと、もう少年を失つた筆者が、少年にならうとしてその頃思つた事を考へると、到底、今の現實社會に働かざるを得ない人間にとつては、まるでその儘では生きて行けさうもない事を、その頃の少年であつた筆者が、平然と生きてゐられたのだといふ事である。
 さう思ふと、その頃の事が信じられないといふよりも、その時代の儘に生きられない筆者自身の置かれたこの現實が、救ひやうのない不可解なものとなるのである。


 ある人から、こんな話を聞いた事がある。
 彼は場末のスナツクで麥酒(ビイル)を飲みながら、
 
「麥酒を飲むと、よく思ひ出すから、普段は日本酒しか飲まないのだが」
 
 と前置きをして語つた。


それは彼がある時、友人と麥酒を飲んだ時に出された麥酒の商標(ラベル)を見て、そのある會社の象徴(シンボル)である『麒麟』の標章(マアク)が、昔、父親が飲んでゐた時に、その描かれた繪の持つ何か傳説めいた姿を見ながら、父が少年に、

 「この動物は「キリン」といふのだよ」

 と言つて説明してくれた事を思ひ出させた。
 その時に、父がその動物――麒麟(wonder giraffe)について、しつかりとした知識を與へておいてくれたならば、彼は今日(こんにち)ほどがつかりはしなかつた、といふのである。
 古代中國で聖人によつて良い政治が行はれる時のしるしとして現れる空想上の動物である、と。
 しかし、彼はその時父親が何も言はなかつた爲に、殆どこの動物がこの世に存在するものと決込んでゐた。
 この世がまだまだ神秘に滿ちてゐる事を悦び、夢に似たものが、彼の中にはあつたと言つた。
 また、さういふ動物が存在するほど、世界は素晴しいと思つてゐられた、とも言つた。
 

 が、ある時、少年は父親の子供を思ふ氣持から、動物園へ連れて行かれて、猿をみたり、膃肭臍(オツトセイ)を見たり、虎や獅子(ライオン)を見て、世界の動物が集められてゐるのに不思議を見た思ひだつたが、不圖(ふと)、少年は大きくて何とも首の長い斑(まだら)の黄色い動物を見ると、父親に尋ねた。
 あれは何といふ動物か、と。
 その時、父親は惡意のない惡意で答へた。

「キリンといふのだよ」

 少年は叫びたい氣持になつた。

「嘘だ!」

 少年には信じられなかつた。
 その動物を見に集まつてくる年上の少年たちが、口々にその「キリン」といふ名を呼んでも、少年は信じようとはしなかつた。


やがて彼は、筆者の友人の滝氏の言葉を借りれば、「モミヂのやうな手」で、持つてゐたお菓子か何かを、地面に叩きつけたに違ひなかつたと言つた。
さうして、彼はもし自分がその儘なにも知らずに育つたとしても、人生は少しも彼の前には變らなかつただらう事も、事實だと思はれるとつけ加へた。
いづれにしても、彼は誰もがさうであらうと思はれるやうに、少年の頃の夢は、その時飲んだ麥酒の泡の如く消え失せ、それ以來、苦い味に醉はされつ放しだと言ふのである。
しかし、彼はそれでも何かを思ひ出すやうにして、泡の消え去つた麥酒を、薄暗い赤や黄色の燈の明滅する中で、獨りして飲んでゐた。


筆者は彼の話に同意出來た。
恐らく、少年の夢といふものは、かういふ形で失はれた人が多かつたのではなからうか、と筆者には思へてならない。
實は、筆者もその少年のひとりに過ぎなかつたのだから……。


  • 一九七二年昭和四十七壬子(みづのえね)年長月三日午前二時



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